中国で英語の修士ってどうなのよ?–復旦大学・公共政策修士過程留学記

 私は2023年9月から中国・上海の復旦大学に留学している。所属はInstitute for Global Public Policyという研究科のMaster in Global Public Policyで、2025年夏に卒業を予定している。管見の限りでは、①中国本土で②英語を使った③社会科学の修士課程に所属している日本人は僅少である(北京大学燕京学堂についてはOBの松本さんに記事を書いていただいた)。それゆえ、本記事がどれほどの読者に訴求しうるのかは分からないが、一つの記録として私の経験を記しておきたい。

 中国の大学院受験の過程は若干特殊で、中国政府奨学金と志望校への出願手続が半ば同一化している。なおかつ、私は合格後にパンデミックによる学業の中断を挟んだのち、復学ののち入学先のコースを変更するという特殊な事務手続を経ている。その件はいずれ別稿に改めることにして、ここでは復旦大学に入学した経緯、私の所属している学部・コース、ならびに語学の問題に関して説明したい。

どうして、わたしが復旦に?

入学式の日のキャンパス。校内は樹が多い。

 過去に書いた一連の記事を読んでくださった方はご存じのことだが、私はすでにイギリスで移民研究の修士号を取得している。それでも二つ目の修士過程に入学した理由は、率直に言ってしまえば、中国移民の研究に携わる者として、一度は中国に住んでみたいという素朴な憧れからである。

 もちろん、実際上の理由はいくらでもある。まず、私の研究対象が日本語に長けた中国人移民だとしても、中国語が自分で理解できなければ文献研究やインタビューは捗りづらい。それに、イギリスの修士課程は9ヶ月の詰め込み教育で、移民研究の理論を一通り学べたのは良かったものの、それを消化して自分の研究に活かす時間がなかった。そのような状態で仮に博士課程に進んだ場合、遅かれ早かれ研究上の大きな困難にぶつかる可能性が高いと感じていた。さらに、日本の中国移民を研究する者がイギリスで研究に携わるという構造は、どうしても知的生産における帝国主義を意識させるので、やはり中国で現地の研究者に指導を受けながら論文を書いてみたかった。

 こうした状況下で、英語を使った中国の公共政策修士課程が、有力な選択肢として浮上してきた。中国語を使った修士課程に入学するには語学力が不足しているし、仮に一年ほど語学留学を経てから入学する場合、中国政府奨学金が貰えたとしても、毎月の手当は高くないので金銭面の問題が残る。だから、私はとりあえず英語を使った修士課程に入学して、中国政府奨学金とJASSOの給付型奨学金を併給して一定の生活費を確保しつつ、2年間かけて中国語の研鑽を詰みながら研究しようと考えた。公共政策系のコースを選んだ背景には、英語で社会科学に携われるコースが少ないという現実的な制約がある。さらに、こうしたコースは大なり小なり中国に焦点を当てているので、それを通じて予備知識が足りない中国の政治・社会構造について理解を深めておきたいという希望があった。私が専門とする労働移住は、現実の政策と密接に関わっている分野であり、なおさら中国のような権威主義国家においては、とりわけ政策を形成する党および政府についての理解が重要になる。

 中国における英語の公共政策修士課程は複数あるようだが、私が選んだのは復旦大学だった。燕京学堂には無惨にも落とされてしまったので、併願校に進学することにしたのである。ネット上で探してみたところでは、燕京学堂以外にも、北京の人民大学、杭州の浙江大学、上海の復旦大学が英語で公共政策系(中国学と銘打ってある場合もある)の修士課程を設置しているらしい。いずれのコースに関しても限られた情報しか見つからないが、その中でもまだ良い方が復旦大学だった。学部生の頃に中国を色々と旅して気に入った街が上海だったこともあり、私は結果的に復旦大学に入学した。

復旦大学・三つの公共政策系研究科

 復旦大学には三つの公共政策系研究科がある。一つ目が社会発展与公共政策学院(SSDPP)、二つ目が国際関係与公共事務学院(SIRPA)、三つ目が私の所属する全球公共政策研究院(IGPP)である。なぜ三つも似たような研究科があるのか、そしてそれぞれの違いは何なのかはどの学生も理解していないが、断片的に把握している情報を記しておく。

 まず、SSDPPは3つの研究科の中で一番コースワークの負担が軽いらしい。私はもともとSSDPPのコースに合格して入学予定だったが、あまりに人気がないのでそのコース自体が消滅してしまい、結果的に大学の差配でIGPPに所属することになった。当初のコースを選んだ理由は、ネット上のシラバスを見る限り一番コースワークが楽そうで、自分の研究に専念できそうだからという安直なものだったが、どうやら私の直感は当たっていたらしい。続いて、SIPRAには神戸大学とのデュアル・ディグリーがあるらしく、観測の範囲内では日本人の学生が数人在籍しており、なかなか忙しそうにしている。

 私が所属しているIGPPは3つの研究科の中で最も新参であり、LSEからデュアル・ディグリーで来ている学生が大多数を占めている。彼らは1年目にイギリスで、2年目に中国で研究することになっており、LSEでは2つのコースのいずれかに所属している。彼らは恐らく30名近くいるが、大半はヨーロッパ人である。私が所属しているのは、中国で2年間を過ごすコースであり、学生の内訳は中国人7人、留学生3人である。中国人学生と留学生との間で必修科目に若干の違いはあり、LSEの学生と我々とでも必要単位数が異なるものの、基本的に所属に関係なく同じ科目が提供されていて、教室で顔を突き合わせることになる。

グローバル公共政策修士課程

 グローバル公共政策修士課程は2023年から開講しているので、私は光栄ある1期生ということになる。2年間で取得すべき単位は30強で、内訳は①大学の必修科目: 中国政府とガバナンス(3単位)、レベル別の中国語(4単位)、②学部の必修科目: 国際公共政策、計量調査法、公共政策と機構、公共経済学(各3単位)、③選択科目(計12単位)、④アカデミック・セミナーへの参加(5回以上)あるいは国際会議での学術発表(1回)に加えて、TA、RA、学術会議のボランティアのいずれかを務めること(4単位)である。なぜか教務が1年目で単位を取り終えるように急かしてくるうえ、専門科目はそれぞれ毎週3時間かかる。しかも、私は追加で中国語のトレーニングを受けるため、復旦大学の隣にある上海財経大学で毎日4時間中国語の授業を取っていたので、かなり忙しい日々を送ることになった。

 最初の学期で私が履修した科目は中国政府とガバナンス、中国社会と都市政策(都市研究)、中国社会と社会政策(人工学)、中級中国語である。私はすでに隣接分野で修士号を持っていることもあり、個人的には取り立てて新鮮味のある講義はなかったが、いずれも中国を集中的に取り扱うものだったので、中国政治・社会をより深く知りたいという私の目標はそれなりに達成されつつある。また、中国語も学部生の頃にきちんと学べば良かったと後悔しているが、少しずつ上達してきている。

 全般的な印象として、私が所属しているコースは入学の難易度に比して教育および学生の質が高いので、お買い得だと言えよう。院生の大半はLSEから来ているのでハードワーカーが多く、それでいてオックスフォード的な鼻につく感じは皆無なので、彼らとは気楽かつ有意義に交流できる。中国人学生はあまり留学生と接点を持ちたがっているように見えないものの、概して真面目に勉強している。現状、復旦で2年間勉強できる弊コースは知名度がかなり低いので、公共政策分野で優秀な学生と手っ取り早く一緒に学びたければ、出願を検討しても良いのではないだろうか。

 ただし、最初の学期を通して気になったことが三つある。最初に、イギリスの大学院と比して、教員と学生とのインタラクションが乏しいことである。オックスフォードに限らず、イギリスの大学院に共通しているものと思うが、大抵の講義では教授が一方的に学生に話すのではなく、少人数のセミナーも開催して学生が討論できる。それに対して、復旦では大講義室で教授が文字たっぷりのスライドを読み上げる傾向にあり、学生の質問に対してどの程度反応するかも教授次第である。また、弊研究科はどうやら予算があまり無いようで、他の公共政策系コースでは時折開催されていると聞いた、院生間の親睦を図るようなイベントがあまり計画されなかった。

 続いて、学術的な内向き志向が気になった。講義やリーディングは中国の事例に集中しており、その中では素朴な中国特殊論を唱えるものが少なからずあった。例えば、2008年の世界金融危機以降、西側諸国の都市における統治は市場の原理に支配されるようになったが、ただ中国だけは依然として中央政府が積極的な役割を果たしている、といった具合である。もちろん、我が国でも経済成長期に日本特殊論が人気を博したので、中国がグローバル・パワーへと変貌を遂げた現在、その特殊性を主張したい人々の気持ちは痛いほど分かる。しかし、我々の研究科はその名にGlobalの一語を冠している以上、いくら講義で中国を集中的に扱うにしても、他国との批判的な比較に基づくべきだろう。ただし、多くの留学生はこうした論に極めて批判的なので、それが逆説的に学生の批判的思考を涵養するのに役立っていることにしておこう。

 最後に、現代中国の政治的な話題にどこまで触れて良いのかの線引きが非常に曖昧である。中国の実例に即して公共政策を学ぶ以上、講義ではどうしても現代中国の諸政策について扱う必要が生じるのだが、学生から政権に批判的な発言が出た場合、教員は曖昧な日本的微笑を浮かべて取り合わない。私も研究関係のプレゼンで、その後逮捕された中国の政治家に言及したところ、授業後に教授に手招きされて「政治の話はリスキーだからやめなさい」と耳打ちされた。ここから看取できるのは一つの矛盾である。私の所属するプログラムは現実の政策を分析するためのツールを学生に授けようとするが、そのツールを現代中国に適用することは容易でないのである。

英語だけで生きていけるの?

 ここで気になる問題は、英語だけで中国に2年間暮らせるのかということである。答えは無理だと言わざるを得ない。日本の大学も大概同じような状況ではないかと思うが、中国の大学は中国語がある程度理解できないとどうにもならない場面が多々ある。全体的な傾向として強調しておきたいが、中国の大学は日本の大学以上に縦割りが激しく、なおかつ部局間の連携はほとんどできていないうえ、英語で意思疎通が図れるスタッフの数はかなり限られている。

 私の場合、中国語ができなくてとりわけ困ったのは、生活の立ち上げだった。学内の留学生寮にいるスタッフは基礎的な英語しか話せないし、私が最初に通信会社の学内オフィスでSIMカードを契約した際も、担当のおじさんは一切英語が話せなかった。もちろん、中国人のコースメイトに頼めば厭わずに助けてくれるのだが、彼らだって忙しい生活を送っているわけで、なかなか頼りきりというわけにもいかない。こうした状況の中、弊研究科は中国人の学部生を一人雇って留学生の生活上の問題を助けるアルバイトをしてもらっているが、院生の大半が留学生なので焼け石に水といった具合である。

 残念なことに、弊研究科の仕組みでは、中国生活を満喫できるほどの語学トレーニングを受けるのは難しい。必修の中国語は毎週2コマで1年間受ける必要があり、授業のクオリティ自体は高いものの、学内の語学留学生は毎日4時間授業を受けていることを踏まえれば、効果は限られていると言わざるを得ない。希望すれば語学留学生向けの授業にも出席できるが、一コマ当たり数千円程度の費用を納めなければならない。ちなみに、私は入学前にこの辺りの規則を調べようと学内の関係者に手当たり次第メールで照会したが、全員に黙殺されたため、泣く泣く近くの別の大学に20万円近く納めて語学コースに通うことになった。しかも、学期中は英語を使う時間がどうしても長くなるから、よほど意識しない限り中国語を使う時間は限られている。公共政策を通じて中国社会への理解を深めるためのコースに入学したのに、語学面では中途半端な成果しか期待できないのは残念である。

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